ベトナム・日本との渡航再開の合意
ベトナムのコロナ感染対策は、医療崩壊を絶対に回避しなければならないという背景のもと、「個を犠牲にしても、全体を守る。」が徹底されていて、社会主義国家の強み、そしてベトナム国民の政府指導への理解が上手く回った結果となりました。
一方、日本と言えば、
1)2020年3月24日東京オリンピックの延期を発表。
2)4月3日累計感染者数、3,000人超過、4月7日緊急事態宣言を発表。
3)5月3日15,000人超過。
4)緊急事態宣言により、一旦は小康状態になりつつも、7月には、累計感染者数は、20,000人超過。
そういう日本国内の状況の中、2020年6月19日の日本政府は、外国人の入国制限措置についてビジネス関係者らにかぎり、PCR検査の実施などを条件に、段階的に相互に入国を認めることで合意したことを発表しました。
感染がほぼ終息したといえるベトナムが、日本にとって感染拡大以降のはじめての緩和措置国となり、440名のビジネス関係者らに限り、PCR検査で陰性証明必須を条件に6月25日~27日の特別便で渡航することができました。
悲しかな、その440名の仲間には入れてもらえなかった、本人が行きたいか、行きたくないかは別にして、会社が行かせたかった約600名程のおっさん達が居残り組として、次の臨時便の予定を待つことになりました。
小職も居残り組として、安全かもしれないベトナムか? 医療体制は、遥かにいいはずの日本が安心なのか? いつ、どこで感染するか? 不安だらけの日々を、過ごす事に。
絶対にコロナ感染してはいけない重圧との闘い
7月に入り、次の臨時便の予定が8月末計画となる連絡を受けて、自分の赴任も8月末に確定し、赴任に向けて準備を再開しました。
日本国内では、7月感染者20,000人超え、一方ではGo to キャンペーンなる経済対策が実施され、感染者を増やすのを煽っている状況、それでも唯一の救いは、キャンペーン対象地域から東京が外された事。
7月末には、岩手県での感染が確認され、全都道府県の感染者が確認され、8月3日には、日本国内累計感染者が40,000人越えを記録。
感染者は、近隣にも、社内にも確認される日々が続き、自分は絶対に感染しないよう感染防御策を徹底したものの、自分と同じような感染防御をしていても、何人かの同僚たちが感染する状況では、どんな対策をしても無駄な対策だったのかと意気消沈。
赴任直前で感染することは、赴任予定が、又、白紙に戻ることになるわけで、『絶対に回避しなくては』になるわけです。いっその事、今のうちに感染してしまって免疫を作った方が得策なのかと、『迷想』することに。
迷いに迷いながら、心も躰も中途半端な感染防御策ながら、なんとか8月10日迄は健康状態は維持できたので、残りの2週間は、絶対に感染してはならない期間に突入。
渡航直前1週間前
3軒隣の家の奥様が看護婦さんという職業がら故、感染して入院療養中とのこと。
足元までコロナ菌が忍び込んでいる状況の中、8月18日、72時間前有効の陰性証明書取得の為、PCR検査を指定病院にて受診。
感染者がいるかもしれない病院に、恐る恐る向かうも、無事に陰性証明書を取得。
渡航日当日
いざ、空港へ。空港到着後、事前の説明通りに再度のPCR検査で陰性確認。
陰性確認後、用意されていた防護服を着て、ソーシャルディスタンスをとりながら、出国手続を通過し、搭乗前待合室に到着。防護服を身に纏い、ソーシャルディスタンスを保ちつつ総勢250余名の皆様が、搭乗時間を静かに待っていました。
多分、自分を含め、約6時間のフライトの後、2週間の隔離生活が始まる不安を胸にいだきながら、日本に滞在できるのもあと僅かと思っていたことでしょう。
いざ、ベトナムへ旅立ちの時。